槇沢登山口から茂来山 2020/12/26日
関東地方は晴れ間もあるようなので、八ヶ岳方面の山にでもと思っていたら、八ヶ岳は雲の中。仕方が無いので手前の茂来山に登ることにしました。茂来山はこの時期霧氷が綺麗なので、それを期待しながら、今日は久し振りに槇沢登山口から登ることにしました。
茂来山山頂より浅間方面

2年前に露久保沢登山口から登った時は、林道が凍り付きちょっとした坂でも4輪駆動で登ることが出来ず、坂の途中で停まったらそのままズルズルと滑り落ち、もうちょいで沢に転落するところでした、その為、今日は槇沢登山口に変更しました。雪は少し積もっていましたが問題なく通ることが出来、先行者の車が1台だけの登山口に着きました。


落葉がたくさん積もった道をサクサクと踏みながら登りましたが、その落葉の下は凍り付いていて、うっかりすると滑ります。


尾根に登り上げると、大きな栗の木がありました、そう言えば露久保沢からの道には「森の巨人達」と言われている、大きな栃の木の コブ太郎 もあります。この辺りの人達には、村が飢饉の際はその栃の実や栗の実が飢えをしのぐ食べ物となり、大事にされていたようです。


尾根に登り上げれば霧氷の道になりますが。朝方は少し白く見えていた木々は強い風に吹かれて落ちてしまったようで、今日は霧氷の道にはなっていないようです。


露久保沢口からの分岐

本来ならばこんな繊細な霧氷の道になるのですが・・・


結構今日も風が強く吹いていて、頬も鼻も凍り付くような寒さの中 歩いていました。



山頂直下

日陰や尾根はかなり寒かったのですが、山頂は陽だまりのように案外暖かく、枯草の上に座り雲の中の八ヶ岳・南アルプス・浅間山・西上州の山々などを眺めながら、ゆっくりと食事にしました。
浅間

八ヶ岳

南アルプス

美ヶ原

御座山

西上州の四ツ又・鹿岳・大屋山方面

浅間連峰の湯ノ丸方面

さてゆっくりと師走の山を楽しみました、暮れるのが早い、釣べ落としの季節ですからそろそろ下山します。


年内にもう1座くらいは登りたい気がしますが、今年はこれで登り納かなー??
まあいろいろあった1年ですが、何とか無事に生きて来られました。

茂来山山頂より浅間方面

2年前に露久保沢登山口から登った時は、林道が凍り付きちょっとした坂でも4輪駆動で登ることが出来ず、坂の途中で停まったらそのままズルズルと滑り落ち、もうちょいで沢に転落するところでした、その為、今日は槇沢登山口に変更しました。雪は少し積もっていましたが問題なく通ることが出来、先行者の車が1台だけの登山口に着きました。


落葉がたくさん積もった道をサクサクと踏みながら登りましたが、その落葉の下は凍り付いていて、うっかりすると滑ります。


尾根に登り上げると、大きな栗の木がありました、そう言えば露久保沢からの道には「森の巨人達」と言われている、大きな栃の木の コブ太郎 もあります。この辺りの人達には、村が飢饉の際はその栃の実や栗の実が飢えをしのぐ食べ物となり、大事にされていたようです。


尾根に登り上げれば霧氷の道になりますが。朝方は少し白く見えていた木々は強い風に吹かれて落ちてしまったようで、今日は霧氷の道にはなっていないようです。


露久保沢口からの分岐

本来ならばこんな繊細な霧氷の道になるのですが・・・


結構今日も風が強く吹いていて、頬も鼻も凍り付くような寒さの中 歩いていました。



山頂直下

日陰や尾根はかなり寒かったのですが、山頂は陽だまりのように案外暖かく、枯草の上に座り雲の中の八ヶ岳・南アルプス・浅間山・西上州の山々などを眺めながら、ゆっくりと食事にしました。
浅間

八ヶ岳

南アルプス

美ヶ原

御座山

西上州の四ツ又・鹿岳・大屋山方面

浅間連峰の湯ノ丸方面

さてゆっくりと師走の山を楽しみました、暮れるのが早い、釣べ落としの季節ですからそろそろ下山します。


年内にもう1座くらいは登りたい気がしますが、今年はこれで登り納かなー??
まあいろいろあった1年ですが、何とか無事に生きて来られました。

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霧氷の赤城山 2020/12/19日
週末は群馬北部や新潟県あたりは記録的な豪雪になり、数日間も車が立往生したようです、この時期はやはり雪山に行きたい処ですが、新潟や長野には行き辛く、近くの山で と言えばやはり赤城で霧氷見物となります。
白樺牧場付近で


白樺牧場付近にある電光掲示板の温度計は-9度Cになっていました。時折強い風に雪が飛ばされてブリザードのようになり、先週に続いて今日もかなり寒い登山になりそうです。今日は駒ヶ岳経由で黒桧に行き周回することにしました。
登り始め



名物の梯子階段をジグザクに登り尾根に出ますが、日陰で風が潮騒のようにザワザワと吹き、体感温度は-15℃はあるのではと思えるような寒い登りになりました。



尾根に登り上げると青空も見えて来ましたが、雲が新潟方面から早く流れて、曇ったり晴れたりと、忙しく入れ替わる天気になりました。



寒い故に青空に霧氷が映えて、風に吹かれて金の粉になりザックやウエアーにサラサラと舞い降りて来ます、こんな景色が見たくて雪山に来た訳ですから、今日は良い登山になって来ました。


前方にこれから登る駒ヶ岳


駒ヶ岳

奥に袈裟丸山方面

朝起きる頃は、こんな寒い時は、忙しい師走で少し疲れ気味でもあり、家に居て酒でも飲んで炬燵に入り、ゴロ寝でもと思ったりしましたが、やはりこんな景色に出会うと来て良かったと思う訳で・・・



霧氷と青空の 駒ヶ岳山頂に着きました

ここから大きく降って黒桧との鞍部 大タルミへと向かいますが、青空の下霧氷の美しい道になりました。


下に大沼 上に浅間

越えてきた尾根と奥に前橋方面

これから登る黒桧山方面


振り返って登って来た駒ヶ岳方面


今日は黒桧の登山口から登って来た数人の方と出会っただけですが、人気の赤城もこんな天気ですから、案外少なかった気がしました。殆どの方が他県から来た人で、千葉から来たと言う若者は、この霧氷に感激していて、赤城がこんなに良い山だったとは知りませんでしたと感激していました。


黒桧大神の手前付近に花見ヶ原への分岐があります、そこの標識には、絶景ポイント方面と言う標識があります。ほんのちょっと脇道にそれるだけですから行って見ました。


小沼と奥に前橋方面 富士は今日は見えませんでした


黒桧大神

黒桧大神で風を避け、熱いカレ-うどん食べてから黒桧山(赤城山)に行きました。
黒桧山(赤城山)

さらに奥の展望地に行きましたが・・・


ただ ただ寒いばかりで展望はありません早々に下山しました。



まあ地元の山ですからゆっくりと起きて来たせいか、今日も最終登山者となって下山しましたが、白樺牧場付近の電光掲示板の温度計は、帰りは-8℃でしたから、一日中殆ど変わらない気温だったようです、赤城の道路は山よりも怖いので、ワンボックスの車は一応4輪駆動ですが後ろが軽いので、60kほどの砂を後ろに載せていたせいか、車輪が雪や氷に食い込み案外安定した走行が出来ました。下の方の道路では高級外車が2台ほどスリップしてガードレールや側溝に落ちていました。



白樺牧場付近で


白樺牧場付近にある電光掲示板の温度計は-9度Cになっていました。時折強い風に雪が飛ばされてブリザードのようになり、先週に続いて今日もかなり寒い登山になりそうです。今日は駒ヶ岳経由で黒桧に行き周回することにしました。
登り始め



名物の梯子階段をジグザクに登り尾根に出ますが、日陰で風が潮騒のようにザワザワと吹き、体感温度は-15℃はあるのではと思えるような寒い登りになりました。



尾根に登り上げると青空も見えて来ましたが、雲が新潟方面から早く流れて、曇ったり晴れたりと、忙しく入れ替わる天気になりました。



寒い故に青空に霧氷が映えて、風に吹かれて金の粉になりザックやウエアーにサラサラと舞い降りて来ます、こんな景色が見たくて雪山に来た訳ですから、今日は良い登山になって来ました。


前方にこれから登る駒ヶ岳


駒ヶ岳

奥に袈裟丸山方面

朝起きる頃は、こんな寒い時は、忙しい師走で少し疲れ気味でもあり、家に居て酒でも飲んで炬燵に入り、ゴロ寝でもと思ったりしましたが、やはりこんな景色に出会うと来て良かったと思う訳で・・・



霧氷と青空の 駒ヶ岳山頂に着きました

ここから大きく降って黒桧との鞍部 大タルミへと向かいますが、青空の下霧氷の美しい道になりました。


下に大沼 上に浅間

越えてきた尾根と奥に前橋方面

これから登る黒桧山方面


振り返って登って来た駒ヶ岳方面


今日は黒桧の登山口から登って来た数人の方と出会っただけですが、人気の赤城もこんな天気ですから、案外少なかった気がしました。殆どの方が他県から来た人で、千葉から来たと言う若者は、この霧氷に感激していて、赤城がこんなに良い山だったとは知りませんでしたと感激していました。


黒桧大神の手前付近に花見ヶ原への分岐があります、そこの標識には、絶景ポイント方面と言う標識があります。ほんのちょっと脇道にそれるだけですから行って見ました。


小沼と奥に前橋方面 富士は今日は見えませんでした


黒桧大神

黒桧大神で風を避け、熱いカレ-うどん食べてから黒桧山(赤城山)に行きました。
黒桧山(赤城山)

さらに奥の展望地に行きましたが・・・


ただ ただ寒いばかりで展望はありません早々に下山しました。



まあ地元の山ですからゆっくりと起きて来たせいか、今日も最終登山者となって下山しましたが、白樺牧場付近の電光掲示板の温度計は、帰りは-8℃でしたから、一日中殆ど変わらない気温だったようです、赤城の道路は山よりも怖いので、ワンボックスの車は一応4輪駆動ですが後ろが軽いので、60kほどの砂を後ろに載せていたせいか、車輪が雪や氷に食い込み案外安定した走行が出来ました。下の方の道路では高級外車が2台ほどスリップしてガードレールや側溝に落ちていました。



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茨木山からその先まで、 2020/12/13日
夜寝るとき夜空を眺めて見ると、冬の大三角形とオリオンが東の空高く見えるようになって来ました、そんな季節になると冬は本番で、今日はこの冬初めての雪山に行く事にしました。

四阿山へは殆どのコースは登ったことがありますが、これから登る、嬬恋村のバラキ湖付近から、茨木山(吾妻山)を登り、1753m峰・1932m峰を越え鬼岩を越えて四阿山に行ったことはありませんでした、ロングコースでアップダウンもが結構あり、最後の鬼岩の先の登りは、四つん這いになり根っ子や木に捕まって登る、かなり急登のコースのようですから、取り敢えず行ける所まで行こうと思います。
登山口

吊り橋を越え、沢を三つほど越えて行きますが、細い沢なのであまり心配のない沢でした。


沢を越えて登ると天気予報の通り、青空の下ダケカンバの美しい林を通ります

7合目と言う看板がありましたが、四阿山まででは無く、茨木山までの看板です。この道には道標はたったここだけにしかありませんでしたが、道はしっかりとあり迷うことはありません。勿論登山者にも会わない静かな道です。

2時間ほどで茨木山 1619m 山頂に着きました。雪は殆どありませんでしたが、帰える頃は真っ白になっていました。


更に先へと急ぎますが、だんだんと天気は悪くなってきました
上部に四阿山の稜線


北風が頬を刺すように冷たくなってきました。



下に田代湖方面が眺められる尾根に出ました。

1753m峰を越えて奥に1932m峰が見えて来ましたが天気はさらに悪くなって、ポツリ ポツリと降り出して来ました。



真っ白なコメ粒のような アラレのような雪が降ってきて顔に当たると痛いくらいでした



展望も全くなくなり、かなり寒くなって来たので、道の両側にある大きなコメツガの木の下で風を除け昼食にしましたが、手が凍傷になるのでは と思うくらい冷たくなり指が動かなくなってきました、手袋を2枚重ねて、おまけにホカロンを中に入れ、何とかしのぎましたが、この先へは無理のようです。鬼岩のすぐ下の1932m峰直下付近まで登りましたが、この先へ行けば遭難しそうなので、ここまでで下山することにしました。


登って来た時よりも雪がたくさん積もって来た帰り道になりました。


茨木山まで下山しましたが、登って来た時は雪は殆ど無かった(上の画像のとおり)のですが、今は白く積もっています。

この道にも雪は殆ど無かったのですが、刷毛で一筆サッと描いたような霧氷と雪の道になっていました。



この辺りの四阿山・根子岳あたりは冬はかなり寒い山ですから、ある程度は覚悟していましたが、群馬で一番寒い地方の嬬恋ですから、寒いのは当然ですが それでも寒かった。


このコースは初めてでしたが、天気に恵まれれば中々面白いコースです。下山がきつければ嬬恋スキー場方面に降りれば楽に降りられるかも知れません。


四阿山へは殆どのコースは登ったことがありますが、これから登る、嬬恋村のバラキ湖付近から、茨木山(吾妻山)を登り、1753m峰・1932m峰を越え鬼岩を越えて四阿山に行ったことはありませんでした、ロングコースでアップダウンもが結構あり、最後の鬼岩の先の登りは、四つん這いになり根っ子や木に捕まって登る、かなり急登のコースのようですから、取り敢えず行ける所まで行こうと思います。
登山口

吊り橋を越え、沢を三つほど越えて行きますが、細い沢なのであまり心配のない沢でした。


沢を越えて登ると天気予報の通り、青空の下ダケカンバの美しい林を通ります

7合目と言う看板がありましたが、四阿山まででは無く、茨木山までの看板です。この道には道標はたったここだけにしかありませんでしたが、道はしっかりとあり迷うことはありません。勿論登山者にも会わない静かな道です。

2時間ほどで茨木山 1619m 山頂に着きました。雪は殆どありませんでしたが、帰える頃は真っ白になっていました。


更に先へと急ぎますが、だんだんと天気は悪くなってきました
上部に四阿山の稜線


北風が頬を刺すように冷たくなってきました。



下に田代湖方面が眺められる尾根に出ました。

1753m峰を越えて奥に1932m峰が見えて来ましたが天気はさらに悪くなって、ポツリ ポツリと降り出して来ました。



真っ白なコメ粒のような アラレのような雪が降ってきて顔に当たると痛いくらいでした



展望も全くなくなり、かなり寒くなって来たので、道の両側にある大きなコメツガの木の下で風を除け昼食にしましたが、手が凍傷になるのでは と思うくらい冷たくなり指が動かなくなってきました、手袋を2枚重ねて、おまけにホカロンを中に入れ、何とかしのぎましたが、この先へは無理のようです。鬼岩のすぐ下の1932m峰直下付近まで登りましたが、この先へ行けば遭難しそうなので、ここまでで下山することにしました。


登って来た時よりも雪がたくさん積もって来た帰り道になりました。


茨木山まで下山しましたが、登って来た時は雪は殆ど無かった(上の画像のとおり)のですが、今は白く積もっています。

この道にも雪は殆ど無かったのですが、刷毛で一筆サッと描いたような霧氷と雪の道になっていました。



この辺りの四阿山・根子岳あたりは冬はかなり寒い山ですから、ある程度は覚悟していましたが、群馬で一番寒い地方の嬬恋ですから、寒いのは当然ですが それでも寒かった。


このコースは初めてでしたが、天気に恵まれれば中々面白いコースです。下山がきつければ嬬恋スキー場方面に降りれば楽に降りられるかも知れません。

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ダイヤモンド霜
この週末は後期高齢者の運転免許の講習が土曜日にあり、久し振りに山は休みになりました。現在は75歳を過ぎると、まず認知症の検査のため、指定された教習場などに行きテストを受けます。それが終了すると、また指定された教習所などで新しい道行法や視野の検査をします。それが終わると、またまた違う日に免許更新のため交通センターなどに行き、やっと新しい免許証がもらえます。その為、この忙しい師走に3度も仕事を休んで免許更新のための日にちを費やしてしまいます。


新聞などで最近は年寄りがブレーキとアクセルを踏み違えたり、逆走して大事故になったりする記事を良く見かけますが、確かに年配者の事故は多いかも知れませんが、全体から比べれば、その他の若い人達の事故の方が多いと思います。歳を取れば誰もが動作は悪くなる訳ですから、年寄りいじめをしないで、もっとサポートカーなどを普及して、その費用を国が負担するなどの政治をやって貰いたいものです。


特に病気で通院する方や、過疎地に住んでいるお年寄りは、車が無ければ生活が出来ません。自営業のお年寄りも車が無ければ仕事が成り立たない方も多いと思います。諺に「終わり良ければすべて良し」と言う諺があります。この道は誰もが通らなければならない道ですから、人生の終わりは楽に楽しく終われる道にしてもらいたいものです。


ちよっと、そんなことを想いながらいつもの様に朝の散歩に出かけましたが、今朝はかなり寒くて、田んぼの雑草に霜がたくさん降りていました、良く見るとダイヤモンドのように輝いていましたので、早速撮ってみました。


3分ほど競歩で歩き、3分ほど緩やかに歩き、それを4回ほど繰り返し、公園でラジオ体操のような運動をしたり、スクワットや屈伸運動をいつもの様に、雨の日も風の日もやって今年も暮れました。もう直ぐ今年も終わりですが、今年は世界中が少々大変な年になってしまいました。後の世の人には、昔のコレラのようにあんな時代もあったんだなー ときっと言われる時代かも知れません。そんな時代に生きたのも、また良い想い出になるのかもしれませんが・・・。




新聞などで最近は年寄りがブレーキとアクセルを踏み違えたり、逆走して大事故になったりする記事を良く見かけますが、確かに年配者の事故は多いかも知れませんが、全体から比べれば、その他の若い人達の事故の方が多いと思います。歳を取れば誰もが動作は悪くなる訳ですから、年寄りいじめをしないで、もっとサポートカーなどを普及して、その費用を国が負担するなどの政治をやって貰いたいものです。


特に病気で通院する方や、過疎地に住んでいるお年寄りは、車が無ければ生活が出来ません。自営業のお年寄りも車が無ければ仕事が成り立たない方も多いと思います。諺に「終わり良ければすべて良し」と言う諺があります。この道は誰もが通らなければならない道ですから、人生の終わりは楽に楽しく終われる道にしてもらいたいものです。


ちよっと、そんなことを想いながらいつもの様に朝の散歩に出かけましたが、今朝はかなり寒くて、田んぼの雑草に霜がたくさん降りていました、良く見るとダイヤモンドのように輝いていましたので、早速撮ってみました。


3分ほど競歩で歩き、3分ほど緩やかに歩き、それを4回ほど繰り返し、公園でラジオ体操のような運動をしたり、スクワットや屈伸運動をいつもの様に、雨の日も風の日もやって今年も暮れました。もう直ぐ今年も終わりですが、今年は世界中が少々大変な年になってしまいました。後の世の人には、昔のコレラのようにあんな時代もあったんだなー ときっと言われる時代かも知れません。そんな時代に生きたのも、また良い想い出になるのかもしれませんが・・・。


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